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冬化粧

年々体の衰えを感じている。

30歳を過ぎた頃から視力の低下、階段の昇り降りによる動悸&息切れ、10個程度のカラーコーンを持ち上げただけでぎっくり腰、ついにはお風呂での潜水タイムが60秒を切ってしまった。 しかし上記に挙げたいくつかの事などほんの些細な事に感じてしまうほど、あるひとつの事が私を悩ませており、これが本当に辛くて悲しくて、心のオーケストラがハ短調の曲ばかり演奏する日々が続いており、それが何なのか説明すると、『お肌の乾燥』なのである。

その乾燥具合は毎年150万ヘクタールで拡大しているサハラ砂漠よりも深刻と思われ、肘、膝のような皮膚の薄い部位から順に二の腕から手首にかけて、太腿の全面から脛、踝、踵、ついにはほっぺまでが侵食され、黒色の化繊の肌着など纏おうものなら、粉状になった皮膚が付着して、揚げる前の天ぷらのようになってしまい、もはや人間か粉モンかで言うと、完全に粉モン、粉モンスターと化していて、このような状態で繁華街などへ繰り出せば、道行く人々に指差され、やれお好み焼きだ、やれハードパンだと罵られ、迫害され、頭から細いマヨネーズをかけられたり、マーガリンを丁寧に塗られたりするであろう事が明白なので、ここ何年かは怖くて外出することが出来ずに、六畳和室の片隅で体育座りをしている。

人前に出なければ粉モンスターだと気づかれる心配もなく、なんならお風呂から出た瞬間、まるで珪藻土バスマットのように皮膚が水分を吸ってくれるので、大きなバスタオルが必要なくなったりと粉モンスターもデメリットばかりではないのであるが、30歳過ぎた既婚の男がいつまでも和室の片隅で呪詛の言葉をつぶやきながら引き篭もっているわけにもいかず、新年会、娘の習い事の発表会、ユニクロのセールなどに参加、参列する為にこの忌々しいお肌をなんとかしようと、上着のフードを深く被り、バンクシーのような格好で最寄りの薬局へ行き、ジバンシーの棚を軽やかに超え、『肌水』を購入、素早くライトなバンに乗り込み、逃げるように帰宅、全裸になってこれらを肌に塗布してみたのである。

しかし、人間がサハラ砂漠の拡大を止められないのと同様に、『肌水』程度では私の粉モンスター化を止めることが出来なくて、痒いよお、痒いよお、とリビングで生ける屍と化し、這い蹲って前進、大音量でマリリンマンソンを流し、そのビートに合わせて皮膚の粉を撒き散らしながら蠢いていたところ、見かねた妻が、娘が散らかしたレゴブロックの撒きビシを蹴散らし、テレビ台の下の棚から妊婦として御活躍されていた頃に病院から処方されたステロイド配合の塗り薬を発見、これを私にプレゼントしてくれたのである。

嬉しいなぁ、なんて素晴らしい妻なんだろう。手渡す際に「今年の誕生日プレゼントです。」と言われた事を差し引いたとしても、本当に良くできた妻であり、深く感動、私はその塗り薬のキャップを開き、足首に塗布してみたのである。

すると、すーすーするのである。とてもすーすーするのである。 そのすーすーが気持ち良く、更には痒みが引いてきて、肌がうるるっとしているので、なんだこれは魔法か。塗ってくれ!背中に!もっと、もっとだ!と服を脱ぎ捨て、四つん這いになって禁断症状が出たヤク中の様に妻に懇願。妻が手にとった塗り薬を肌に塗布する度にアピャーン!と奇声を発しながら、私はオーガズムに達した。

しかし全身への塗布が終わり、妻が布団に入った頃に気がついたのである。 寒い。猛烈に寒い。すーすーが半端ではない。 全身を襲うメンソレータム感に凍死の二文字が頭をよぎった私は体を温めるべく、娘のレゴブロックの撒きビシを蹴散らし、ガスファンヒーターの前へ四足歩行で移動、その暖かい風を浴びた瞬間、更に甲高い声でアピャーン!と鳴いた。 暖かいどころか、風が肌に当たると更に寒いのである。激烈に寒いのである。どうなっている、ここはマッターホルンか、K2東壁か。 このままでは自宅にいながら手足が壊死してしまう。一刻も早くこの忌まわしき塗り薬を洗い流さなければ、自宅で凍死した自称建設業の男性として、妻にヘッドロックをしてパクられたパクさんと並んでYahoo!のニュースに載ってしまう。風呂に湯を溜めている時間はない、すぐさま湯の温度を4℃上げ、熱いシャワーに飛び込んで、再びアピャーン! 肌に湯が当たっているにも関わらず、その体感はアイスバケツチャレンジそのものであり、新春早々の罰ゲーム。

こんなことなら粉モンスターのままの姿でよかった。人々に指差され、やれお好み焼きだ、やれハードパンだと罵られ、迫害を受けているほうが遥かにマシであった。神様、どうか私を元の姿へ、粉モンスターの姿に戻して下さい。そう祈り、ずぶ濡れのまま脱衣所へ飛び出して、ガタガタ震えながら棚からバスタオルを取ろうとしていると、眩いLEDの光と共に上から降ってきたアリエール粉洗剤。

私は見事、粉モンスターに戻ったのである。

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